音楽療法で懐かしい音を思い出す。そこは無音の世界で誰もいない。

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懐かしい音を思い出すワークで無音の誰もいない世界へ。
忘れる前に備忘録として書いておこう・・・。

北本福美さんの「音楽療法と瞑想」というワークに
参加したのですよ。

第5チャクラを開放するワークとのことでした。

懐かしい音、二度と聴くことのできない音を
探してみる・・・。
というので探してみたのですが、すぐには浮かばない。
例としては、亡くなったおばあちゃんの声、
校庭のブランコの音・・・。

だけど、
おばあちゃんの声・・・。もう思い出せない。
校庭のブランコの音・・・。わからない。

懐かしい音なんて見つからない・・・。

と探していたら、豆腐屋さんのラッパの音が
浮かんできたのですよ。

そこから、その音の風景を思い出していくよう、
うながされて、風景の世界へ・・・。

ワタシは瞑想をやっているので、割と簡単に
その世界への旅で出かけたのですよ。

見えてくる景色は、子供の頃に住んでいた土地。
家に西側には、砂利の道があって、そこを
豆腐屋さんが自転車に乗って、ラッパを吹きながら
やってきた。
ワタシは、アルミの小さなお鍋を持って、
お豆腐を買いにいく・・・。

というようなことを子供のころ、やらされて
いたような気がするのですね。
「やらされて」というのがミソ!

そこから、その風景の中を探索していくのです。
音を探すように促されるのですが、豆腐を買いに
行くように言ったはずの母の声が聞こえない。

それどころか、母はいない・・・。
よく見てみると、ワタシもいない・・・。
浮遊している感じで、その景色を見ているのですね。
瞑想している時に見る風景は、いつもそんな感じ。

ここで、ちょっとだけ解説!
多分、この浮遊している感じが重要な気がします。
自分として見ているのではなく、
自分からはなれて観察して見ている。

話を戻します。
子供の頃に住んでいた家、今はもうありませんが、
その頃の家の中を探索してみるのです。

ありありと風景が浮かんで、台所、お風呂、
洗濯機は三丁目の夕日に出てくる脱水は、
手でハンドルを回すやつだったり・・・。

そうなんですよ!!
何がそうなのかって言うと、風景はありありと
浮かんでくるのに、全く音がしない・・・。

音を探すようにうながされているんですよ!
途中途中で、声かけがされるのです。

なのに、どうしても音が無い・・・。

人工的な音も自然の音も人の声もしない・・・。

探しても探しても、音は無く、そして人もいない・・・。

そんな風景を見て、今に戻ってきました。

ワタシとしては、どうして声が聞こえないか?
なんとなくわかる気がするのですね。

もう、ずっと前にみつけたワタシ。
暗闇の中にうずくまって、頭をかかえて
座っていた。

でも、今から思えば耳を塞いでいた?
そんな感じがするのですね。

ワタシの家族は機能不全家族でした。
子供の頃のワタシにとって、家は安心安全な
場所ではなく、恐怖の場所だったんだと
思うのですね。

祖父母の家や親戚の家に自ら好んで泊まっていた。
そこはワタシにとって、安心安全な場所。

本当に、祖父母や親戚の家の人たちが
幼いワタシに優しくしてくれたのですね。

ワタシには、そんな人たちがいて本当に
良かったと思うのですよ。
そして、今、この文章を書きながら、
その世界に行ってみたところ、そこには
音があることを発見しました!!

ワタシに優しい言葉をかけてくれた人たち。
その言葉がどんな言葉だったか、
思い出せる言葉、思い出せないことば・・・。

ただ、ただ、溢れるあたたかいイメージが
ワタシをやわらかく、つつみ込んでくれます。

なんか、書いてて涙があふれてきます・・・。

まとめ

今回は、第五チャクラを開放するワークだった
わけですね。

リンク先を見てみると、 第五チャクラは、
コミュニケーションをつかさどるチャクラのようですね。
子供のころのワタシは、親とのコミュニケーションが
とれていなかったので、第五チャクラはうまく
機能していなかったと思います。

そんな子供のワタシは、今のワタシによって、
随分、癒やされたと思うのですね。

子供のころに気づいた経験を持っている人って
たくさんいると思うのですよ。
でもね、それは過去のワタシ・・・。
今のワタシは、もう過去のワタシではないのです。

過去のワタシに執着するのをやめてみると、
違うワタシが見えてくるかもしれませんよ。