精神ってなんだろう?あるがままってどんな状態?

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三つのツールのイラストは、自分の中から出てきたものです。
自分の中から出てきたのですが、いまいち自分では言葉に
できないような気もしているのですよ。

易と瞑想の◯の重なった部分に書いてある精神あるがまま
という言葉。

あるがままというのは、今の段階の私の理解でいうと、
マズローの欲求の欲求五段階説の6番目の欲求である
自己超越の状態ではないかと思うわけです。

私が欲求の五段階説を知ったのは、福祉系の仕事をしている時です。
その後、瞑想を教えてもらうようになって、欲求の五段界説の
上には、六番目の自己超越という状態があることを知ったのですね。

上にも書いたように、あるがままというのは自己超越をした
第六番目の欲求のことを現しているのではないかと
今の私は思っています。

それなら、精神とはいったい何を現しているのか・・・。
自分の中から出てきた言葉ですので、感覚的にはわかるのですが、
言葉で説明するのが難しい。

私の中では、精神とは作り上げられたもののような感じです。
もともと自分が持っているわけではなくて、人として生きていく中で
身につけてきたもの
ですかね。
〇〇精神精神論というような言葉があるように、
何かを達成するために、頑張る・・・というような感じで、
生まれてから獲得したもの。
あくまでも、私個人の考え方です。

これを書いていたら、考え方が集まって、集大成されると
精神という言葉に集約されるような気もしてきました。

あるがままと精神は、対局の関係にあるような気もしてきました。

何が言いたいかというと、瞑想をしていると、いろんな自分
見えてくるのですね。
見えてきた自分に対して、ジャッジをすると自分を否定したり、
肯定したりして、囚われてしまうのですよ。

例えば、私は休みの日は、一日ぼーっと何もしないで
過ごすのが好きなのですが、そんな一日を過ごすと、
後になって「なんてムダな一日を過ごしてしまったんだ」
やらなければいけないことが、いっぱいあったのに
何もやらなかった自分に対して、ジャッジをしているのですね。
「ダメだなぁ」って。
「どうして、私はちゃんとできないんだろう」
などと自己否定してネガティブに考えてしまうわけですね。

その状態の自分をあるがままに受け入れることができないわけです。
知らないうちに、自分でダメな自分を作っているのですね。

ぼーっと何もしないで一日を過ごすのは時間をムダにすることだと
私がどこかで身につけたことなのですね。

でも、旅行なんかに出かけていて、風光明媚なところで、
ぼーっと過ごすのは、ムダだとは思わないどころか
有意義だと思っている私がいるのです。
こんなところなら、一日中過ごしてぼーっとしていたいと
思うわけですね。

私は同じようにぼーっと過ごしているけれど、場所が違うだけで
ムダか有意義かを判断、ジャッジしているのですよ。

瞑想を初めた頃の私は、いろんなものに囚われていました。
今も囚われていますよ、そんなに簡単に悟ることは
できません。

ただ、初めた頃と違うのは、ジャッジをする自分は別のところに
置いておいて、あるがままの自分を観察することが
うまくなってきたように感じるのです。

この観察できるようになったきっかけが、易の本に書いてあることの
ような気がするのですよ。