人の人生の時間をいただいているだけと感じたら?そこにも意味があるのでは?

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昨日、書いたブログの続きです。
「人の人生の時間をいただいている」と思った時が
私にもあったのですよ。

私が悪性リンパ腫と診断されてパニック障害を
発症した時が、そんな時でした。

急ブレーキで人生がストップしてしまった感じ。

自分の人生の時間も止まってくれたら、
寿命が伸びるのではないかなどとね、
バカなことも考えました。

あと数週間、数ヶ月、数年で私の人生は
終わりかと絶望したものです。

悪性リンパ腫には、数週間単位で進行するもの、
数ヶ月単位で進行するもの、数年単位で進行するもの、
たくさんの種類があるのです。

今から思えば、私の悪性リンパ腫は、数年単位で
進行するものだったわけですが、最初に診断された時は、
まだ、どのタイプの悪性リンパ腫かはわかりませんでした。

いろんな検査を受けて、生検(手術で細胞を取って
顕微鏡で調べる)をして、進行が遅いであろう
濾胞性リンパ腫と診断されました。

自分の人生の残りの時間が少ないかもしれないと、
初めて、その時「死ぬかもしれない」と
思ったのですよ。

そして、私が病気にさえならなければ、
家族、職場、お医者さん、周りの人の
迷惑をかけているであろう、
たくさんの人々に迷惑をかけることもなかった・・・。

などと、その頃の私は罪悪感がいっぱい
だったような気がするのですよ。

「人に迷惑をかける」

ということが悪いことだと勘違いしていましたね。

私の側からすれば、迷惑をかけている?
相手の側からすれば、迷惑をかけられている?

これらは、捉え方の違いでしかないのではないかと。

「迷惑をかける」ということは
「人の人生の時間を一方的に奪ってしまう」
と、その頃の私は思っていたのでしようね。

でも、人間は一人では生きていかれないですね。
支え合って生きるからこそ「人間」なのでは?

「支えてもらう」ことに罪悪感を感じていた私が
存在していたのだと、このブログを書いていて再認識
しました。

私の時間と家族の時間、
私の時間と周りの人の時間、

一人だけの時間じゃなくて、その時間を共有することに
意味があるのではないかと思うのですよ。

一緒の時間を過ごすことで、見えなかった部分、
知らなかった部分、いろんな部分が見えてくる。

一方的に、時間をいただいている、迷惑をかけていると
思っていても、そうではなく、その時間に意味がある?

振り返れば、私は病気になったことで、
いろんな学びがあったのですね。

病気にならなかったら、今の私はいないと思うのですよ。
別の私が生きているか、すでにこの世を去っているか?

人生とは「人を生きる」と書きますね。
よくできた言葉だと思います。

「人を生きる」とは、どんなことでしょう?

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